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あまつかぜ

南 和彦

もうかなり昔のことになってしまったが、名古屋大学に赴任したばかりの頃、当時の数理学科の図書室に行って本をさがし、本は何冊まで借りられるのかと司書さんに尋ねたところ「先生が必要なだけ」と言われた。また返却の期限は何週間後なのかと聞いたところ「先生が必要なくなったらお返しください」と言われた。

そのころ理学部A館の二階にあった数理学科の事務室の前の掲示板に、A教授が「××研究会」というタイトルで研究集会のプログラムを手書きで書いた紙を貼っていたので横で見ていたところ、私に気づいたA教授が「あ、そうそう、君も何かしゃべりなさい」と言うので「はい」と答えると、「タイトルは?」と聞くのでその場でタイトルを考えて言うと、私が言ったタイトルを壁に貼った紙にガリガリと書き込み、そのうしろに私の名前を書き、そのうしろに「招待講演」と書き込んだ。

あるとき、少し集中して計算する必要を強く感じて、数日のあいだ家にこもって毎日計算を続け、結果が出たところで久しぶりに大学に行ったことがあった。当時の大学はおおらかであったが、それでも私が来ないので周囲の人は怒っているのではないかと不安を感じていたが、行ってみると皆いつも通りで、どうやら私が大学に来ていなかったこと自体に気がついていないらしいということがわかった。(ちなみにこのときに出した結果が、自分が二十代に得た結果の中で最も優れたものであると思う。)

この理philosophiaの2024年4月号に、阿波賀邦夫氏の「虚構の共有と対立」というエッセイがあり、その中で集団の幻想ということが紹介されている。人間の文化その他が集団的に共有される幻想であるという考えはおそらく正しい。また私はさらに、そういった集団的な幻想や無意識は、その集団の作る都市の建造物や景観に反映されるのではないかと常々感じている。

そこで名大の建造物であるが、例えば豊田講堂などは日本建築学会賞を受賞したとのことであるが、私には何やら部品の足りないロボットのように見えてしかたがない。パリでは風吹きあげる斜面を上ったモンマルトルの丘に白いサクレ・クール寺院がそびえるが、名古屋ではやはり風吹きあげる東山の丘の上に豊田講堂がある。

もう二年経つが、2023年度の名大祭のテーマは「あまつかぜ」であった。あまつかぜとは「空高く吹き抜ける風」のことであるという。このテーマを知ったとき、私は豊田講堂の前の広く高い空間に流れる風を思い浮かべた。これは大学の学園祭のテーマとしてはめずらしい、秀逸なテーマであったと思う。そしてこのテーマからも感じられるある部分での制約のなさが、それが良い形で現れるにしろ悪い形で現れるにしろ、この名古屋大学の学風なのではないかと思った。

南 和彦

数理学科 大学院多元数理科学研究科多元数理科学専攻准教授

東京大学理学部物理学科卒、同大学院博士課程修了。理化学研究所基礎科学特別研究員を経て、1995年より名古屋大学講師、2007年より現職。専門は数理物理学、統計力学。

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