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純粋と応用

大平 徹

名古屋大学理学部の数学教室に着任して、もう10年以上が過ぎた。しかし、高校卒業後は海外で教育を受け、その後も企業の研究所に20年近くいたので、いまだに物事の進め方や考え方で戸惑うこともときどきある。特に数学には独特の文化があり、私自身がそれまで接してきた物理や情報系のそれとは異なり、もしかしたら文学やお茶の世界に近いのでは、という印象を受けている。恥ずかしながら、もともと文学を志していたこともあって、これは私には想定外に居心地のよい環境で感謝している。

そのようなこともあって、年に数回行っている高校への出張講義などでは数学を「言語」として感じるようになったと話している。その上で、コロナの予測、交通渋滞、ネット決済を支える暗号などなど、現象のメカニズムやアイディアを、この「数学」という国際言語に翻訳できれば、文字通り世界中で数千年の間に積み重ねられてきた知恵をさまざまに活用できると続けている。そのため「数学は役に立ちますか」という問いには「現代文明を支える縁の下の力持ち」と答えている。

そうなると、「純粋数学はどうなのか」と考えられるかもしれない。これは私にも見えないことがほとんどだが、この10年ほどでぼんやりと感じるのが、私の同僚たちには現実との距離の大小はあるとしても、やはり数学の言語の紡ぎ出す、さまざまな世界が見えているようなのだ。その世界の中には現象も構造物もあり、私小説、歴史小説、エッセー、川柳などのように、多様な概念やスタイルが流行り廃りの波に揉まれながら展開しているような印象である。

そして実は、それらの数学現象や風景はひょんなことから我々の「応用」にもつぎつぎと顔を出す。特に近年の機械学習、人工知能、量子情報などは、もはや「純粋数学」とよばれるいくつかの分野の活発な研究現場にもなっているのが現状である。名古屋大学の数学教室も、一般には純粋数学が強いと認識されていて、事実、フィールズ賞受賞研究を含めて優れた数学の成果を発信してきている。しかし創成期から、論理学者にしてコンピュータを開発し日本学士院賞を受賞し、日本オペレーションズ・リサーチ学会会長も務められた、小野勝次先生のご活躍に代表されるように、「純粋」と「応用」の垣根など豪快に笑ってふっとばしてしまうような伝統もある(小野先生は若いころには相撲部屋からの誘いもあったと伝わっている)。

そして最近の教員陣容は、国内はもちろん世界的に見ても、最も多様性をもつ数学教室の一つといっても過言ではない状況となった。時代と向き合い、行きつ戻りつしながらも、「名古屋数学」が次世代にもつながっていくことを願っている。

大平 徹

数理学科 大学院多元数理科学研究科教授

1982年に筑波大学附属高校を卒業後、グルー基金奨学生として渡米し、ハミルトン・カレッジに入学。1986年に卒業後、英国ケンブリッジ大学クライスツ・カレッジ、93年に米国シカゴ大学より物理学で、Ph.D.を取得。その後、企業研究所に勤務しながら東京大学工学部非常勤講師などを経て、2012年4月より現職。「ゆらぎ」や「遅れ」を含むシステムの数理、追跡と逃避などの集団現象の数理、量子力学基礎論などを中心に研究している。

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