研究者はもっと自分たちの研究を社会に発信していくべきである。『理philosophia』はそうした情報発信の場となることを目的に、2001年11月に創刊された。私は創刊から編集者として制作に携わってきた。
読者対象は高校生を想定すると伝えて原稿を依頼してもいざ上がってくると、同じ学科の先生でも理解ができないような内容だったりした。広報委員会では、「この文章はもっとかみ砕いてもらいましょう」「この図ではわからないので違う図に差し替えましょう」という意見が出る。一方で原稿の窓口をしている先生からは「そこまでのことを言っても多分わかってくれません」とか「そもそも原稿に手を入れること自体を受け付けてくれません」といったやり取りがなされる。実際に執筆者に修正の依頼をすると、「わかりやすくすることによって正確さが零れ落ちてしまう。修正には応じられない」「この原稿でわからないというなら原稿を引き上げます」という回答が戻ってくる。広報委員会は2時間を超すこともあった。一度わずか500字ほどの原稿にもかかわらず「歯が立たない」原稿が来た。原稿の依頼趣旨や掲載のタイミングを鑑みるとその号にはその原稿がどうしても必要なため、本文よりも長尺の語句説明をして乗り切ったことがある。
しかし、そうしたやり取りも少しずつ変わってくる。「サイエンスコミュニケーション」という考え方の浸透により、研究者は、社会に対して自身の研究の説明責任を負うことになり、結果、研究をわかりやすく伝えることは、研究者の大切な仕事になってきた。これにより「歯が立たない」原稿は減っていった。
こうした広報誌の制作において、編集者である私は何をしてきたのか。広報委員会で審議を終えた原稿の整理を行うのが私の仕事だった。タイトルや小見出しを付け直したり、図表の説明文を整理したり、語句説明を補足した。「それではこの原稿は久野さんに整理をしてもらいましょう」と広報委員長が審議に区切りをつけると、重かった空気が少しだけ軽くなった。私の仕事はここから始まる。
創刊から四半世紀。広報誌の編集においてさまざまな経験をさせていただいた。理学部は2回のノーベル賞イヤーを経験した。創刊号は野依良治博士のノーベル化学賞の受賞記事で飾ることができた。2008年には、小林誠博士、益川俊英博士がノーベル物理学賞を、下村脩博士がノーベル化学賞を受賞する。2日連続でノーベル賞受賞の連絡を受けたことは今も強く記憶に残っている。18号では広報誌の役割を検証するため、外部の有識者を招いて座談会を開いた。席上、紹介された「ほかの冊子と比べて浮世離れ度が激しい」という読者アンケートのコメントが妙に頭に残っている。22号では「東日本大震災をめぐる理学」という特集を組んだ。正に広報誌という場があったからこその情報発信ができたと考える。2023年には、その舞台を印刷物からウェブに移した。
今、私には、少し残念に思うことがある。コロナ禍以降、リモートで開かれる広報委員会は1時間ほどで終わる。正直もう少し揉めてもよいのではと思ったりする。

