鴨長明による方丈記の冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」は流体の特徴をよく表していると思う。手でつかもうとしても指の間からするりと逃げ、そのくせいかなる器のかたちにも融通無碍に従う流体の運動を記述することは一筋縄ではいかない。
連続体としての流体の運動は数学的には非線形の偏微分方程式であるNavier-Stokes方程式で記述される。連続無限自由度力学系である流体運動の研究とは、一見芒洋としてつかみどころがない印象を与えるが、それでも流体のなかには渦や非線形波動のような局所的なエネルギー励起状態が存在し、それらは相互作用によって固有の形や運動状態を示すことが知られている。
私が東大物理の橋本英典教授の研究室で流体力学の研究を始めた1980年代の初頭は、世界的にカオスや可積分性といった研究が盛んであった時期であり、私も2次元流体における点渦運動の可積分性や衝突問題の研究を進めていた。本来連続な流体の運動を、渦糸やソリトンといった孤立した離散的な組織構造や励起状態の相互作用で考察するというのはある種、理想主義的立場に立っていたと言えるかもしれない。
そういった離散的描像を追究しての研究方向が大きく転換したのは、アメリカニューメキシコ州のロスアラモス国立研究所のCenter for Nonlinear Studies(CNLS)にポスドクとして滞在し、ロバート・クライクナン博士との共同研究を始めたことがきっかけであった。 クライクナン博士とはNavier-Stokes 方程式の直接数値計算(DNS)を用いての乱流統計力学の研究を行った。理想化された条件下の問題ではあるものの、連続流体における非線形性の特徴である物理量のカスケード現象(長さや波数スケール間の遷移)を考察することで離散的描像では把握の難しい流体研究の深みに触れたように感じられた。
ロスアラモスに続いてポスドクとして赴任したのはコロラド州ボールダー市にあるNational Center for Atmospheric Research(NCAR)であった。引っ越し用のトラックをレンタルしてI-25を運転し、休憩をとりながらボールダーに到着したことをつい先日のように覚えている。 NCARでのホストはジャクソン・ヘリング博士であり、博士とは地球流体力学の要素である安定成層乱流について理論とDNSによる解析を行った。安定成層乱流では鉛直方向の運動が抑制され、流れは2次元と3次元の中間の性質をもつ。さらに流体中には渦や波といった流れ構造が豊富に存在し、連続的な流体力学のさまざまなエッセンスを含む数学的にも大変面白い研究対象だと思う。
その後、コロラド大学の応用数理学科で2年間講師の職を経験した後、名古屋大学に赴任したのは大学院多元数理科学研究科が発足した1995年であった。これは初代の研究科長になられた四方義啓先生にお誘いをいただいてのことであった。名古屋に来てからすでに29年が経とうとしている。この間、流体力学の研究を継続してきているが、最近では数学のミレニアム問題の一つである「流体方程式における適切性/特異性」に絡み、3次元粘性流体中の渦衝突/再結合の問題に取り組んでいる。この問題は若いときに熱中していた2次元点渦衝突の発展問題とも言え、再び離散の世界の面白さに引き込まれていることを感じる。やはり私にとっては連続の現象を特徴的な離散構造の相互作用として理解するということは胸躍らせる対象であると同時に見果てぬ夢であるのかもしれない。