時は35年ほど前。場所は理学部D館1階。日欧共同実験CHORUSで、原子核乾板中で起こるニュートリノ反応の検出に用いる蛍光ファイバーシートの量産を完了した時のもの。壁際に山のように積まれているのはファイバーが巻いてあったボビンである。写真がセピア色なのは、ファイバーの劣化を避けるために紫外光を含まない黄色い照明を使用していたからで、経時退色によるものではない。
CHORUS実験はニュートリノが宇宙の暗黒物質である可能性を、当時は仮説にすぎなかったニュートリノ振動現象を検出することによって検証しようという野心的な実験であった。
研究室(物理F研)は、原子核乾板を用いてチャーム粒子を発見した丹生潔さんが立ち上げ、チャーム粒子、ビューティ粒子などの研究を行ってきたが、後継の丹羽公雄さんは分野の状況を熟考しこの野心的な実験を研究の中心に据えた。
私はビューティ粒子などの研究のためにLSI技術でつくるシリコン半導体放射線検出器(SSD)の開発を行っていたが、この転換によりファイバーへ対象を切り替えることになった。必要な検出器は2m角の全面にわたり100μm程度の分解能を持つものであり、リーズナブルなコストでそれを実現できるのは太さ0.5mm程度の蛍光ファイバーを用いる検出器であり、SSDではないと判断されたからである。世界にこの太さの蛍光ファイバーをシート化して検出器に組み上げた先例はなく、すべて自前での開発となった。
当時学生であった中野敏行さん(写真一番左)、佐藤修さん(その右)、小崎哲生さん(さらにその右)らとともに、私(一番右)は、ファイバーの製造会社、大学の装置開発室、地元の企業などの協力を得て、ファイバーの最適化、シート化装置の開発、シート末端の反射面作成、読み出し装置の開発などを行った。シート量産への最後の課題はファイバーの経時特性の理解と改善であった。ボビンに巻いたままのファイバーは時間が経っても特性は変化しないのだが、一度でもボビンから外すと時間とともに特性が劣化して行くのである。手元にあったすべての評価サンプルを再測定し、昼夜を徹して原因究明を行い、折り曲げなどの機械的なストレスで発生したラジカルが触媒になり次々とプラスチックを酸化分解して行く「プラスチックの自動酸化反応」が原因であることを突き止めたのは量産開始のタイムリミットの寸前であった。添加する抗酸化剤の種類や量を調整して問題を解決、しかもこの処方により初期性能も向上するというおまけ付きであった。自信を持って量産を開始、研究室総出で総長3000㎞のファイバーのシート化を完遂することができた。
この時、この写真に写る我々をはじめ研究室のだれもが「宇宙の暗黒物質はニュートリノである」と信じていた。まさかこの後、CHORUSにニュートリノ振動の信号がなく、神岡の実験が大気ミューニュートリノの欠損としてその兆候をとらえ、その検証のために狂気ともいえるCHORUSの1500倍規模のニュートリノ振動実験OPERAを行うことになろうとは。ましてや、盤石と思われた写真フィルムがデジタルカメラにあっという間に駆逐され、写真フィルムの一種である原子核乾板にも存亡の危機が訪れようとは。
今思えば、CHORUSのファイバーシート量産は、これら荒波を乗り越えて行く前人未踏の航海の始まりであった。写真の空ボビンの山は賽の河原の石積みのようでもあり、行く末を暗示していたかのようにも見える。人間万事塞翁馬。この写真に写る我々よ、つかの間の安息を楽しめ。



