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海の天気、そして転機

五島 剛太

菅島は三重県鳥羽市の港から船で15分の小さな島である。ここに名古屋大学理学部附属の臨海実験所がある。通称「菅島臨海」。設立は1939年で、理学部本体より古い(最初の数年は医学部附属だった)。設立以来80余年、世界的に著名な研究者たち、それから多くの学生が在籍してきた。島の集落へは山道を徒歩で1時間ほどかかるため、所員は実験所内の宿泊施設に住み込むか、実験所所有の船で鳥羽本土から通勤して、研究と教育活動に励んできた。しかし、名古屋キャンパス内での知名度は低い。理学部の学生、教員でも来たことがある人はあまりいない。ほとんど秘境扱いである。実際には、所定の利用申込書を送ってくだされば名大の方ならどなたでも歓迎なのだが。

私の名大着任は2007年。それまで名大に在籍したことはなく、また海の生物を使った研究をしていたわけでもなかったので、菅島臨海のことは知らなかった。それが2018年の秋、菅島臨海の4代目所長が定年退職を迎えるにあたり次の所長を募集することになり、理学部生命理学科の一教授だった私に募集の責任者の役が回ってきた。菅島臨海のことをもっと知らなくてはと月に一回訪問するようになり、ハマってしまった。私自身が所長候補者として手を挙げてしまった。学科からの引き留めはなく、あっさり認めてくれたのには苦笑した。2020年春、先代所長の定年退職と入れ替わりで、5代目として島の官舎に移り住んだ。臨海実験所で海の生物学を始めるなど、全く予期していなかった。

なぜ菅島臨海に惹かれたのか。大きな理由は二つある。まず、研究面。私の専門は細胞分裂という生物の基盤的活動で、ヒトの細胞をはじめいくつかのモデル生物で徹底的に研究されてきたが、海の生物の細胞分裂には常識外れのものが多く見られ、学術的にとても興味深かった。海の生物の細胞は、どうやって、そしてなぜ、そんな進化を遂げたのだろうか。これを研究すれば、究極的には細胞とは何かという問いにも迫れるかもしれないと思った。

もう一つは生活環境である。写真は実験室から撮影したものだが、伊勢志摩国立公園の海を前に一日中実験や議論や論文執筆ができるのである(さすがに二重の虹は滅多に見られないが)。名古屋キャンパスで隣の実験棟を眺めながらやるのとはえらい違いである。住まいが実験所内にあるのも気に入っている。いつでも好きな時に実験したり家に戻ったりできるのがいい。食堂では調理師さんの用意してくださる食事を学生たちと食べている。研究に関するいろいろな話をしながら。

とはいえ、離島での研究はなかなか大変である。細胞生物学的に興味深い生物種は目の前の海で簡単に採集できるが、飼育・培養法や遺伝子操作法は自力で開発しないといけない。やりがいがあるが、実験失敗が続きもう無理かなと諦める気持ちになることもある。それでも、僻地の研究室を敢えて青春の場に選んだ学生さんはとても忍耐力があり、工夫に工夫を重ねて最後には素晴らしい実験データを出して、研究を力強く継続できている。大雨の後には虹が出る、といったところであろうか。これからも、学生が目を輝かせて研究に打ち込む環境を維持すること、論文を発表し続けること、を目標としたい。

写真説明
写真は2021年5月に菅島臨海実験所の実験室で撮影したもの。毎日見ている風景だが、この日は二重の虹が見事だったので思わずシャッターを切った。海との距離の近さが菅島臨海実験所の特長の一つである。

五島 剛太

大学院理学研究科附属臨海実験所所長/教授

1974年生まれ。1997年京都大学理学部卒業、2002年京都大学大学院理学研究科修了(博士[理学])、2002年カリフォルニア大学サンフランシスコ校博士研究員、2007年名古屋大学高等研究院特任准教授、2010年名古屋大学大学院理学研究科教授、2018年名古屋大学大学院理学研究科附属臨海実験所(菅島臨海実験所)所長、2020年より菅島が主拠点。2019年日本学術振興会賞。

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