この写真は1992年に宇宙科学研究所C棟のクリーンルームで撮影されたものである。右が42歳の私で、左が59歳のセレミトソス博士。1986年2月から2年間滞在して共同研究をさせていただいたNASAゴダード宇宙飛行センターの「師匠」とともに、1993年2月打ち上げのあすか衛星搭載X線望遠鏡4台完成の記念写真である。
日本のX線天文学は初代はくちょう衛星(1979)、2代目てんま衛星(1983)に続く3代目となるぎんが衛星(1987)の大面積比例計数管で鉄輝線による本格探査を始めた。次のステップとして4代目のX線天文衛星あすかでは、田中靖郎先生(名大特別教授)の発案で鉄輝線を含む10keVまで集光結像できるX線望遠鏡とX線CCDカメラを組み合わせて、X線撮像スペクトル観測を目指すことになった。しかし当時の日本のM-3SII型ロケットで打ち上げられる総重量420kgの衛星に搭載するには、それまでのガラス研磨型望遠鏡(アインシュタイン衛星では望遠鏡だけで約300kg)ではなく超軽量の望遠鏡が求められた。日本ではてんま衛星で試験的に一次元集光鏡XFCを搭載した。その開発のため山下広順先生(元名大理学部長)とともにX線反射鏡の開発を始めていた私を、多重薄板X線望遠鏡の開発を進めていたセレミトソス博士のもとへ2年間送っていただくことになった。数センチの厚い研磨ガラスではなく、0.125mmのアルミ薄板に滑らかな鏡面を創生した円錐形の反射鏡を、同軸多重に並べる画期的な方式である。この写真の望遠鏡1台には円錐薄板反射鏡が120枚同軸状に並べられており、大変高い効率でこの同軸上の3.5m先に焦点を結んだ。
この種の望遠鏡の最初の試みはスペースシャトル実験(1990)用望遠鏡BBXRTで、師匠と1台ずつ組み上げ、1週間の集光スペクトル観測に成功した。重量を気にしないスペースシャトル用の1台20kgの望遠鏡を半分の1台10kgに軽量化して4台搭載しようという野心的な計画のためあらゆる減量に努めた。打ち上げ時の振動衝撃環境に耐える強度を維持しつつ極限まで鏡筒を軽量化して4台で40kgを達成することができた。
このエポックは私にとっては、X線検出器から望遠鏡に観測機器開発の舵を切ったターニングポイントであった。そこからひとみ衛星搭載の純国産(名大実験室で全て製作)の多層膜硬X線望遠鏡の開発へ進んだ。日本のX線天文学にとっても、大面積比例計数管観測から撮像スペクトル観測への大きなステップアップで世界の第一線に飛び出したターニングポイントになった。それはあすか衛星のデータを元に世界の研究者が投稿した論文数が1700を越えたことからも明らかである。私にとっても日本のX線天文学にとっても大きなターニングポイントを示す「一枚の写真」だと思われる。