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自分の適性に真正面から向き合う大切さ

川場 直美

修士取得後の2010年、私は京都にある化学系専門書を扱う出版社である化学同人に入社し、1年目から化学専門の月刊誌『化学』の編集担当として、最新の化学とその周辺領域を追いかけ続けてきた。最終的には編集長の任を拝命し、「もっと面白い化学を伝える」ことを命題に、名古屋大学の先生方をはじめ、多くの研究者の先生方と接してきた。

こんなカッコイイ言い方をすると、「サイエンスコミュニケーターになりたかったんですか」と問われがちである。でもその実はまったく違い、私は大手化学メーカーへの就職を切望していた。教授推薦をいただいても軒並み落とされ、修士2年の春は途方に暮れていた。そんな時、当時所属していた生物無機化学研究室の教授、渡辺芳人先生に、就職活動開始前にいわれた言葉が頭をよぎった──「『ボルハルト・ショアー現代有機化学』とか、化学の教科書あるだろう。ああいうのを出版する会社なんてどうだ」──いわれたときは「化学科で勉強したのだから“モノづくり”にかかわりたい」と思っていたために聞く耳をもっておらず、失礼ながら右から左へと流してしまっていたお言葉。その後はこのお言葉を胸に、出版・新聞社へ希望業種を変え、化学同人から内定をもらった。奇しくも、渡辺先生が例にだした『ボルハルト・ショアー現代有機化学』を出版している会社であった。この経験から、自分には研究・開発などのモノづくりよりも文章作成・編集の適性があることに気づいた。

そして現在は、オランダに拠点を置く、科学分野において世界でも有数の専門的なソリューションを提供するグローバル情報分析企業Elsevierの日本法人、エルゼビア・ジャパンで新たな挑戦をしている。Elsevierは理系では大変有名な企業であるが、なぜ有名なのかはポジティブ・ネガティブ両方の理由がある。ポジティブな点では、世界最大規模のジャーナル(研究者が新しい発見をしたときにそれを他の研究者へ発表する文章(論文)を載せる雑誌)の運営と販売、その膨大なジャーナル情報を分析して、お客様がほしいデータの提供を行っている。小社の運営するジャーナルに投稿した論文から、ノーベル賞も多く生まれているのだ。ネガティブな点でいえば、「その論文を読むための購読料がめちゃくちゃ高い」こと。転職時に研究職の人たちからその点で苦言を呈されたのは忘れられない。

実際の業務は、本社が刊行する医学書籍の日本語版の編集・制作を手掛けている。アドバンテージがもともとあった化学からなぜ医学なのか。もちろん、名古屋大学理学部化学科で育んだ化学への気持ちは変わらない。ただ、化学を伝える側で過ごした13年間、医学・生命科学と化学の融合分野の進展から目が離せなかった。たとえばノーベル化学賞を例にだすと、2020年代だけ見ても、ゲノム編集手法の開発やクリックケミストリーと、未来の医療を担う素晴らしい技術が化学から誕生しているのだ。しかし、医学の素養がなく、その良さを上辺でしか伝えられない自分が歯がゆくもあった。そんな折、偶然にも今の会社から声をかけてもらった。編集という立場で化学分野に長年生きてきた経験が生かせることや、これまでの紙書籍と違い、独自のWEBプラットフォームで数千ページもの書籍を刊行するOnline eBook Libraryという新しい書籍の出版のカタチなどを提示していることを魅力的に感じ、一大決心で転職を決め、今に至る。

ながながと書いてしまったが、本稿を読んでくださっている皆さんに伝えたいのは、「やりたい仕事に必ずしも適性があるわけではない」ということである。さらに言えば、一生やりたいことができる仕事に出逢える人は何人いるのだろうか。念願叶ったと思っても、「こんなはずでは」と思うことだってあるだろう。これからの将来に夢を抱いている学生さんには厳しいかもしれないが、一つ言えることは、「その仕事に自分がどう貢献できるのか」ということである。独りよがりにならずに、まわりの人の意見も聞き、 自分で・・・自分の適性を考えて決める・・・・・・ことで、自分の可能性は広がるということである。私にとっての渡辺先生のお言葉のように。

川場 直美

エルゼビア・ジャパン株式会社 エデュケーション ソリューションズ ディベロップメント・エディトリアルチーム ディベロップメント・エディター

岡山県生まれ。2008年名古屋大学理学部化学科卒業、2010年名古屋大学大学院理学研究科物質理学専攻(化学系)博士前期課程修了。同年4月、株式会社化学同人に入社し、月刊誌『化学』の編集担当に従事。2021年10月同編集長に着任。2023年3月に同社を退社し、4月よりエルゼビア・ジャパン株式会社に入社。(株)化学同人で企画担当した書籍に、『有機化学1000本ノック』シリーズ(矢野将文 著、化学同人)がある。

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