「行きたくない、行きたくない、行きたくない」と私は思った。2017年、多くの日本人が憧れるチャンスが私に訪れていた。より良い生活への黄金の切符、すべての問題を解決する手段―東京大学への入学の機会。でも、私は行きたくなかった。
詳細に入る前に、少し話を遡ろう。私はフィンランド出身だが、2017年に名古屋大学大学院環境学研究科で博士後期課程を追求するため名古屋に移住した。名古屋大学には2015年、岩石鉱物学研究室で研究インターンをしたときに訪れていた。それは本当に刺激的な経験で、その経験がきっかけで研究をさらに進めるために戻ることを決意した。その後、一度フィンランドに戻り、大使館推薦の文部科学省奨学金を獲得するために懸命に努力した。そしてついに、2017年3月に再び日本に戻ってきた。戻ってすぐ、研究室の担当教授からこう告げられた。「東京大学で新しいポジションのオファーを受けた。一緒に来て、これまでの研究プロジェクトを続けてもいいよ」と。「よく考えて、今週中に行きたいかどうか教えてください」と言われた。
最初は驚いたが、これは素晴らしい機会かもしれないと思った。しかし、それは名古屋での生活、特に家族を置いていかなければならないことを意味していた。私は2014年に結婚しており、長い間離れて暮らしていた夫と、やっと彼の故郷である名古屋で一緒に住めるようになったところだった。「行くべきだ」と夫は強い口調で言った。「ついに坂口家から東大に行く人が出たわね」と義母も言った。学問志向の私の両親も誇らしげだった。これはみんなが私に望んでいることだった。私は行くことを決めた。
その夏の間ずっと、入学試験に合格するために毎日化学を勉強した。しかし、日が経つごとに私の精神状態は暗くなっていった。毎日泣きながら、過密で物価の高い東京で一人暮らしをする自分の未来を考えていた。少しずつ、私は自分の決断を疑い始めていた。結局のところ、私はすでに名古屋大学で研究を始めており、すべてが順調に進んでいた。名古屋大学では、いつも温かく応援してくれる研究グループ、最先端の設備、そして多くの友人に恵まれていた。最終的に伊勢神宮に行き、「行くべきかどうか」について神様の「サイン」を求めて祈った。それが私のサインだったと思う。伊勢神宮まで行って「行くべきかどうか」を祈らなければならないのなら、それは正しい選択ではないのだろう。結局、私は行かないことを決めた。東京大学に行くことは他の人の夢かもしれないが、私の夢ではなかった。
私は名古屋大学に残り、博士後期課程を修了することを決めた。それは私の人生で最良の決断のひとつだった。国際的なコミュニティを楽しみ、研究室の仲間たちと家族のような関係を築き、学問的に最高のレベルで研究を追求できると感じていた。卒業後、名古屋市内の私立大学で数年間働いたが、何かが私を再び名古屋大学に引き寄せ続けていた。そして昨年、名古屋大学の国際入試チームでの学術専門職のポジションに応募することを決意した。私は名古屋大学に戻ってきて約1年になるが、今の仕事は、名古屋大学を留学生や海外のトップ研究者に広めることだ。この仕事は、自分の経験に基づき、非常に誠実かつ正直に取り組むことができると感じている。
私が伝えたいのは、名古屋大学に入学する留学生や日本人の学生、そして新しい一歩を踏み出す人たち全員に向けて、「まわりの人の夢ではなく、自分自身の夢を追いかけることが何よりも大切だ」ということだ。