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現地観測の魅力に導かれて

江刺 和音

2019年11月、私は憧れだったヒマラヤの氷河上に立っていた。夕日に照らされたエベレストを眺めながら、次々と掘り上げられるアイスコアを観察し、袋詰めしていく。透明な氷に残された黒い層を見て、引き伸ばされた気泡を見て、私が生まれる前のこの場所の環境に思いを巡らせる。必要な物を取りにテントに戻る10mほどの道のりで息があがり、澄みきった紺青の空を見て、この場所が標高6000mであることを実感する。

私たちはこの場所にアイスコアを掘りに来ていた。アイスコアとは氷河の氷を電動ドリルで円柱状にくり抜いて掘った雪氷試料である。直径は10cmほどで、この時は深さ80mまで掘削した。およそ50cm掘り進めるごとに地上に上げて取り出し、丁寧に梱包して氷の状態で日本に持ち帰る。
アイスコアは「地球環境のタイムカプセル」と呼ばれる。大気の循環によって運ばれ、降り積もったさまざまな物質が雪とともに押し固められて氷の中に保存されているからだ。私は現在、このヒマラヤで掘ったアイスコアを研究している。特にアイスコアに黒い層を形成する「ダスト」について調べている。ダストとは鉱物粒子であり、砂漠などの乾燥地域で巻き上げられた微粒子が、風にのってヒマラヤまで運ばれてくる。ダストの量や組成は当時の気温や降水量、大気循環によって変動するので、アイスコアに含まれるダストは過去の地球環境を知る手がかりとなる。

さて、なぜ私がこの研究を始めたのか、そのきっかけについてお話ししたい。理由は単純で、知らない世界に行ってみたかったから。もう少し丁寧に説明するならば、人を寄せ付けない高山や極地の環境を自分自身の目で見て、肌で感じてみたかったから。身近に南極観測隊に参加した先生方がいたため、普段は行けないところでも研究でなら行けるかもしれないと思った。幸運にもさまざまな機会に恵まれて、これまでヒマラヤに加えて、南極観測も経験できた。はじめは現地観測には一度行けば満足するものと思っていたが、そんなことはなく、すぐにまた行きたいと思ってしまう。現地の環境を知ると、その場所でやりたいこと、知りたいことが次々と浮かぶのだ。

2023年10月、コロナ禍を経て4年ぶりにネパール・ヒマラヤを訪れた。現地の人たちと再会し、氷河までの変わらない道のりや村のロッジに懐かしさを覚えたが、氷河の様子は変わっていた。特にアイスコアの掘削地点は一変しており、4年前は真っ白な雪原が広がっていた場所は、溶けた新雪の下からまだら状にダストに覆われた黒い雪面がのぞいていた。黒っぽい雪面は日射を吸収し、溶けて再び凍ると氷の層ができる。今回はスコップで表面雪を掘ってサンプルを採取する予定だったが、この氷の層に阻まれて計画していた深さまでは到達できなかった。現地観測では上手くいかないことも多い。それでもこの場所を訪れなければ、今の状況を知ることはできなかったので来て良かったし、これからも観測を続けて現地でどんな変化が起きているのか、データを取り続けていかなければと思う。

軽い気持ちで始めた研究だったが、今もなおやり続けているのは自分の手で取ってきたサンプルで自分が知りたいことを明らかにする、この楽しさに気づいたからだ。研究を通してこれからも新しい環境を自分の足で訪れ、知らない世界をのぞいていきたいと思う。

江刺 和音

大学院環境学研究科地球環境科学専攻博士後期課程3年

2019年山形大学理学部地球環境学科卒業、2021年同大学院理工学研究科理学専攻(地球科学系)博士前期課程修了。博士前期課程1年時に名古屋大学雪氷圏研究グループが主催するネパール・ヒマラヤ氷河観測に参加。2021年名古屋大学大学院環境学研究科地球環境科学専攻博士後期課程入学。2022年11月より5カ月間、第64次南極地域観測隊・夏隊員として研究観測に従事。2023年4月より日本学術振興会特別研究員(DC2)。

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