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標準宇宙模型の向こう側を重力レンズで覗く

宮武 広直

ダークマターとダークエネルギー

近年の天文観測技術の飛躍的発展によって、標準宇宙模型が確立された。最新の観測によると、この模型の下では、宇宙のエネルギー密度のうち、我々がすでに知っている物質はたった約5%しかなく、残りの約26%は未知の物質である冷たいダークマター、約69%が未知のエネルギーであるダークエネルギーであることが明らかになった(図1)。

ダークマターは天体形成に必要な重力源であり、未知の素粒子である可能性が高い。ダークエネルギーは1990年代後半に発見された宇宙の加速膨張を説明するために導入された。加速膨張は非常に不思議な現象である。なぜなら、数十億光年の宇宙論的スケールでは重力が支配的であるため、宇宙膨張は減速すると考えるのが自然であるからである。つまり、宇宙には重力による万有引力と真逆の働きをする万有斥力のようなものが存在していることになる。これら暗黒成分の存在は現代物理学の基礎をなす素粒子物理学と一般相対性理論の修正を迫る可能性があるため、世界中の宇宙論研究者が標準宇宙模型のさらなる検証を行っている。

図1 宇宙のエネルギーの構成要素
宇宙の95%は暗黒成分で占められている。そのうち26%が未知の物質であるダークマター、69%が未知のエネルギーであるダークエネルギーである。

弱重力レンズでダークマター分布を「見る」

数十億光年のスケールの宇宙の構造は宇宙の大規模構造とよばれ、多くの銀河からなる銀河団、銀河団同士をつなぐフィラメント、物質がほとんどない領域であるボイドなどからなる網の目構造をなす(図2)。宇宙の大規模構造はダークマターによる重力によって物質が集まる効果と、加速膨張によって物質が引き離される効果のせめぎ合いの下で形成されてきた。よって、大規模構造の時間発展を測定することで、標準宇宙模型の検証を行うことができる。

ここで問題となるのが、自ら光を放つ銀河の空間分布を測定するだけでは正確に大規模構造を測定できないという事実である。なぜなら、宇宙の物質のうち約80%が光で観測できないダークマターだからである。この問題は弱重力レンズ効果とよばれる現象を用いることで解決できる。弱重力レンズ効果は、遠方銀河からくる光が観測者と遠方銀河の間にある質量構造によって歪められた空間を通ることによって、わずかに曲げられる効果である(図3)。よって、弱重力レンズ効果を用いれば、ダークマターを含むすべての物質の空間分布を測定することが可能になる。

図2 SDSSで観測された宇宙の大規模構造
2000年から開始された大型観測計画SDSS(Sloan Digital Sky Survey)による銀河の位置情報から得られた宇宙の大規模構造。銀河団、フィラメント、ボイドからなる網の目構造が形成されている。Credit: SDSS

図3 弱重力レンズ効果の模式図
弱重力レンズ効果により銀河像はわずかに楕円形に歪められる。その歪みの強さは重力源(この場合は銀河団)に近いほど強く、歪みの向きは重力源と銀河を結ぶ直線に垂直な方向である。Credit: J. Bosch

 

すばる望遠鏡による弱重力レンズサーベイ

弱重力レンズ効果は非常に微弱な信号であり、弱重力レンズ効果の歪みは銀河そのものがもつ形状よりも小さい。よって、非常に多くの銀河の形状の平均をとり、銀河固有の形状を打ち消すことで、はじめて弱重力レンズ信号を取り出すことができる。また、微弱な信号を測定するために、高品質な画像(大気や望遠鏡の光学系による像のぼやけや歪みが小さい画像)を必要とする。すばる望遠鏡の主焦点カメラHSC(Hyper Suprime-Cam)は、広視野と大集光力、高結像性能を併せ持ち、多くの銀河の高品質撮像を可能にするという点で、弱重力レンズ効果を測定するのに最も適した観測装置の一つである(図4、動画1)。

私たちを含む日本および台湾の天文学コミュニティとプリンストン大学からなる国際共同研究チームは、すばる望遠鏡HSCを用いて全天の約30分の1を観測するサーベイを2014年に開始した。そのターゲットは宇宙が生まれてから約30億年から約125億年にかけての「後期」宇宙に位置する銀河である。1年目の弱重力レンズ解析から得られた2次元ダークマター地図は動画2で見ることができる。さらに、これを3次元地図にすると図5のようになる(動画3)。この3次元物質分布から、標準宇宙模型におけるパラメータの一つである物質分布の凸凹度合いSを測定することができる。また、宇宙が生まれてから38万年後の「前期」宇宙において、初めて光が直進できるようになった時の様子、宇宙マイクロ波背景放射(CMB)における空間的な非一様性からもSを測定することができる。我々が注意深く解析した結果、HSCの弱重力レンズ効果測定から得られたSはCMBの非一様性から測定されたSよりも小さい傾向があることがわかった。これは、前期宇宙の観測から示唆されるSと後期宇宙の観測から示唆されるSの間に違いがあることを意味する。世界の他の弱重力レンズサーベイでも同様の結果が得られており、まだ統計的有意性は十分ではないものの、標準宇宙模型における綻びが見え始めている。

図4 すばる望遠鏡(HSC:Hyper Suprime-Cam)
主焦点(左写真上方)に搭載され、104枚のCCD(右下写真)で広視野を一度に撮像する。右上写真はHSCの全体像。Credit: 国立天文台/HSCプロジェクト

 

動画1 すばる望遠鏡HSCによるアンドロメダ銀河の観測
HSCは一度でアンドロメダ銀河全体を観測できる広い視野をもつだけでなく、アンドロメダ銀河の星々一つ一つを分解できる画像分解能をもつ。Credit: 国立天文台/HSCプロジェクト

 

動画2 HSCで測定した宇宙の2次元物質分布
HSCサーベイ1年目に観測されたVVDSとよばれる空の領域にズームインし、弱重力レンズを用いて測定された2次元物質分布を示している。Credit: 国立天文台/HSCプロジェクト

 

図5 HSCで測定された宇宙の物質の3次元地図
弱重力レンズ効果を用いることでダークマターを含む物質分布を測定することができる。赤経、赤緯はそれぞれ天の赤道を基準にした経度、緯度を表す。Credit: 国立天文台/東京大学

 

動画3 HSCで測定した宇宙の3次元物質分布
図5を回転しながら見たもので、赤い箇所は物質が特に多い領域を示している。Credit: 国立天文台/HSCプロジェクト/Surhud More

CMB重力レンズを用いた遠方宇宙の大規模構造の測定

標準宇宙模型の綻びが見え始めてきた今、標準宇宙模型を超える理論を探るにはどうしたら良いのだろうか。そのアプローチの一つとして、私たちは弱重力レンズで測定されていない遠方の宇宙の大規模構造を調べ、その時代において標準宇宙模型を検証する研究を始めた。その第一歩として、HSCで発見された宇宙が生まれてから約20億光年の遠方銀河周辺のダークマター分布の測定を試みた。遠方銀河周辺のダークマター分布を弱重力レンズ効果で測定することはほぼ不可能である。なぜなら、弱重力レンズ効果を測定するためには遠方銀河のさらに遠方にある銀河像が大量に必要だからであり、そのような観測をHSCで行うことは非常に困難だからである。そこで、私たちは銀河の代わりにCMBにおける重力レンズ効果に着目した。CMBからくる光も、遠方銀河からくる光と同様、前景の質量構造により曲げられる(図6)。この効果を利用することで、約150万個の遠方銀河周辺の平均的質量構造を世界で初めて測定することに成功した。

図6 遠方銀河による宇宙マイクロ波背景放射重力レンズ効果の模式図
遠方銀河周辺(紫色の明るいところ)のダークマター分布により宇宙マイクロ波背景放射からくる光は曲げられ、宇宙マイクロ波背景放射の2次元地図の歪みとして観測される。Credit: Reiko Matsushita

 

今後の展望

HSCをはじめとする弱重力レンズサーベイによるSの測定から、標準宇宙模型の綻びが見え始めてきた。2020年代は、欧州が主導するEuclid望遠鏡、米国が主導するVera C. Rubin Observatory’s Legacy Survey of Space and Time (LSST)と Nancy Grace Roman宇宙望遠鏡によるさらに大規模な弱重力レンズサーベイが計画されている。私たちはこれらのサーベイへのアクセス権をすでに獲得しており、HSCで得られた弱重力レンズ解析のノウハウを生かして、これらの将来サーベイにおいても主導的役割を担うことを目指している。また、2020年代にはSimons Observatoryなどの新たなCMBサーベイが計画されており、遠方銀河とCMB重力レンズ効果を用いた遠方宇宙の大規模構造の測定も推進していく。これらの測定によって、標準宇宙模型を超える理論が発見され、現代物理学の大転換が起こるかもしれない。今後の観測的宇宙論の進展にご注目いただきたい。

宮武 広直

物理学科 素粒子宇宙起源研究所准教授

1984年神奈川県生まれ。2007年東京大学理学部物理学科卒業、2012年東京大学大学院理学系研究科博士課程修了、博士(理学)。2012年日本学術振興会海外特別研究員(プリンストン大学)、2014年日本学術振興会特別研究員(東京大学カブリIPMU、プリンストン大学)、2015年NASAジェット推進研究所博士研究員、2017年名古屋大学高等研究院YLC特任助教を経て、2021年4月より現職。専門は観測的宇宙論、特に弱重力レンズ効果を用いた宇宙論的研究と銀河・銀河団進化の研究。

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