Frontrunners

LHCで探る素粒子の質量起源

堀井 泰之

物質と宇宙の根源「素粒子」

物質と宇宙の根源は何だろう。それはどういう性質を持ち、どのように時間発展していくのだろう。そういった疑問に挑むために素粒子の研究をしている。

素粒子は、物質を構成する最も基本的な粒子である。アップクォーク、ダウンクォークとよばれる素粒子が強い相互作用とよばれる相互作用で結びつけられて、陽子や中性子を形成する。それらが、電磁相互作用で電子と結びつけられて原子を形成し、さらに原子が集まって物質を形成する。

宇宙は、誕生直後、高温で小さかったと考えられている。膨張とともに温度が下がる過程で、元素が合成され物質が形成される。その過程を支配するのは、素粒子とその性質である。

素粒子の相互作用として、電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力相互作用が知られている。電磁相互作用は光子、弱い相互作用はW粒子とZ粒子、強い相互作用はグルーオンの交換によって説明できる。この描像は、ゲージ対称性に基づく非常に美しいものであり、数々の実験によって実証されてきた。

素粒子の質量起源

質量は、素粒子がもつ基本的な量であり、その大きさは四つの相互作用と密接にかかわり、物質や宇宙の形成を決定づける。しかしながら、素粒子の質量を単純に理論に導入しようとすると、ゲージ対称性が破れ相互作用の説明が破綻してしまう。この問題を解決するために導入されたのが「ヒッグス粒子」である。

ヒッグス粒子に基づく素粒子質量の理論的説明は1964年になされた。この理論においては、ヒッグス粒子に対応する「ヒッグス場」が宇宙を満たしていると考える。素粒子がヒッグス場から感じる「抵抗」を、質量と捉えるのである。ヒッグス場からの抵抗が大きな素粒子は質量が大きく、抵抗が小さな素粒子は質量が小さく、抵抗がゼロの素粒子は質量がゼロになる。

図1(左)は、ジュネーブの市街地を眺める著者の写真を示す。ヒッグス場は直接写真には映らないが、空間全体を満たしていると考えられる。図1(右)では、そのヒッグス場のイメージを黄色で示してある。ヒッグス場で満たされた空間に存在する素粒子が質量を獲得し、地球、空気、人間など、あらゆるものを構成していく。

図1 ヒッグス場のイメージ
ジュネーブの市街地を眺める著者の写真(左)と、ヒッグス場を黄色で示したイメージ(右)。

ヒッグス粒子発見

上述の素粒子質量の起源の説明が正しい場合、加速器を用いた実験によってヒッグス粒子を発見できるはずであり、ヒッグス粒子の探索は長らく行われてきた。ヒッグス粒子の質量が大きく、その生成には大きなエネルギーが必要なため、なかなか発見に至らなかったが、2012年、ついにLHC*1を用いたATLAS*2実験、CMS*3実験によって、ヒッグス粒子を発見することができた(図2)。

ヒッグス粒子の発見に重要な役割を果たしたのがミューオン検出器である。ミューオンは素粒子の一種であり、電子の仲間である。ヒッグス粒子は生成されるとすぐに崩壊し、別の粒子に姿を変えてしまう。ヒッグス粒子の崩壊の後に生じる粒子として、光子、電子、ミューオンなどがあり、これらを検出することがヒッグス粒子発見において不可欠であった。名古屋大学がATLAS日本グループの他の研究機関とともに建設、運転を担ってきたミューオン検出器TGC*4検出器は、ヒッグス粒子発見に重要な役割を果たした(図3)。

図2 ヒッグス粒子発見の様子
2種類のミューオン検出器(青色、緑色)が四つのミューオン(赤色)を捉えた。 (出典:ATLAS Experiment at CERN)

図3 ATLAS実験のTGC検出器
高さ25メートル、幅25メートルの多線式比例計数管。(出典:ATLAS Experiment at CERN)

素粒子の質量起源検証

2012年に発見されたヒッグス粒子は、素粒子の質量起源の描像と矛盾しない性質(電荷、スピンなど)を持っていたが、発見当時、それに対応する場が本当に質量起源を担うかはわかっていなかった。そこで、LHCでヒッグス粒子を大量に生成し、その性質が精査された。

ヒッグス粒子と素粒子の結びつきの強さ(結合の強さ)を測定し、素粒子の質量と比較することで、その素粒子に対する質量起源の検証を行うことができる。質の高いデータを蓄積し、先端的な解析手法を導入することで、これまでに質量が大きな素粒子(W粒子、Z粒子、トップクォーク、ボトムクォーク、タウレプトン)に対して、ヒッグス場が質量起源を担うことを解明できている(図4)。

これまでに質量起源を解明できた素粒子は、不安定で自然界にほとんど存在しない。次なる目標は、自然界に存在する素粒子の質量起源の検証であり、最も高い感度で検証を行えるのがミューオンである。近年、名古屋大学の解析チームの貢献により、ヒッグス粒子の二つのミューオンへの崩壊の兆候を捉えることができた(冒頭の図)。この結果は、ミューオンの質量起源がヒッグス場にあることを示唆する。

図4 素粒子の質量起源の検証結果
横軸(上図、下図共通)は素粒子の質量を示し、上図の縦軸は素粒子とヒッグス粒子の結合の大きさを示す。エラーバー付きドットは測定値を示し、赤線はヒッグス場が質量起源を担うとしたときに予想される理論値を示す。上図の右下のブロックはこれまでに観測された素粒子のリストを示し、背景が塗りつぶされた素粒子に対してヒッグス粒子との結合の研究がなされている。下図の縦軸は素粒子とヒッグス粒子の結合の大きさを理論値に対する比として示す。理論値と合致する測定値が得られた。 (Nature 607, 52-59 (2022))

今後の展望

ミューオンの質量起源の検証を「兆候」から「解明」まで発展させるためには、より多くのヒッグス粒子のデータが必要になる。また、ヒッグス場の性質の一つである「ヒッグスポテンシャル」の構造は、宇宙初期に空間がどのようにヒッグス場で満たされたかを決める重要な性質であるが、直接的に測定できていない。これらの課題に挑むため、LHCをアップグレードし、2040年頃までに、これまでに得られているものの20倍近くのデータを蓄積する予定である。そのためには検出器の読み出し回路のアップグレードも必須であり、名古屋大学はその開発を主導している。ミューオンの質量起源を解明し、ヒッグスポテンシャルの構造を決定することで、物質と宇宙の根源の理解を進展させるため、精力的に研究を進めている。

*1 LHC(Large Hadron Collider)
スイス・フランス国境付近に設置された周長27 kmほどの円形加速器。
*2 ATLAS(A Toroidal LHC Apparatus)
LHCにおける実験の一つ。名古屋大学が参加している。
*3 CMS(Compact Muon Solenoid)
LHCにおける実験の一つ。
*4 TGC(Thin Gap Chamber)
ミューオンの検出を目的に建設された多線式比例計数管の一種。

堀井 泰之

物理学科 素粒子宇宙起源研究所准教授

1984年青森県生まれ。2006年東北大学理学部物理学科卒業、2011年東北大学大学院理学研究科博士課程修了、博士(理学)。2011年名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構特任助教、2013年名古屋大学大学院理学研究科助教、2018年名古屋大学大学院理学研究科講師、2021年名古屋大学大学院理学研究科准教授を経て、2023年4月より現職。専門は素粒子実験、特にLHCを用いたヒッグス粒子および素粒子質量起源の研究。

この記事をシェアする

  • twitter
  • facebook
  • LINE

PAGE TOP